また日本人である限り切っても切れないのが、人の死と同時にやってくる「葬式」です。
残された家族にとって、最後のセレモニーであるのと同時に大きな負担にもなるのが葬式です。
普段から宗教感の薄い日本人ですが、この時ばかりは「自分のところはどこの宗教で・・・どこの檀家で」などの話が出てきます。
また人の死のにおいをかぎつけるようにやってくる「葬儀屋」
どこでその情報を聞きつけるのか分かりませんが(多分、病院などからだと思いますが)、家族がなくなるとふと現れます。
結局、時間がないものですから病院に紹介してもらった葬儀屋ですぐに契約される方も多いですが、そのどたばたの中で話をするのでなかなか金額的な話が話もできず、あたふたしている間に様々な事が決まってしまいます。
蓋を開けてみたら、かなりの高額契約をしていた・・なんて話も聞こえてきます。
お坊さんもそうです。
定価のない読経や戒名づけなど、残された家族はどれくらい払えばよいものか分かりません。
また戒名だけでウン十万なんて相場のようです。
もちろん修行に修行を積んで、みるからに徳の高いお坊さんならばその意味が分かりますが、時に夜の街で飲み歩いているお坊さんを見かけると本当にがっかりします。
本当に日本の冠婚葬祭はばかげているような気がしてしょうがないです。
最近はそういった声も大きいようで様々な媒体で新たな「葬式ビジネス」が誕生しています。
ビジネスであるなら、しっかりビジネスとして確立して、顧客満足度を計ろう、という考えのようです。
今まであいまいだった葬式費用を明確化し、安心して家族を見送れるように考えているようです。
これに反発するのが、既存の葬式社会
新規加入であるこれらの業者がまるで「まともではないやつらだ」というような喧伝をします。
そのようなエネルギーがあるのなら、新規参入企業にまけないような努力をするべきですが、そのように指向は向かないようです。
どちらにしても人間である以上、また日本人である以上「葬式」は切っても切れない関係にあります。
これから先、この業界がどのように進んでいくのかが見守っていくのも面白いのかもしれません。