日本の民間テレビ局の公共放送としての自覚

index1現在、テレビでは連日「STAP細胞のねつ造疑惑問題」が報道されております。

この疑惑が沸き起こる前はSTAP細胞論議に係らず、研究チームリーダーである小保方さん個人を「リケジョ」としてもてはやしたにも関わらず、このような「ねつ造問題」が出たら一気に手のひら返し

「未熟な研究者」と専門家が話した言葉をひろいとり、鬼の首を取ったかのように自分たちも「未熟な研究者」として報道し始めています。

もともと報道関係者はこの細胞の研究成果以上に、彼女個人の人物背景にスポットを当てて表舞台に引きずり出したにも関わらず、現在の情況にはすこし「報道の下品さ」を感じます。

「現代のモーツアルト」として取り上げられた佐村河内氏も、本人自体の信頼性はともかく、彼を盛り上げていったのは報道機関です。

この報道姿勢の現状に対しては、テレビ局自らの非もあるのではないか?と思います。

日本のように無料の公共放送がいくつもある国はめったにありません。

日本以外の多くの国は「視聴料金を払って、自分の見たい番組を視る」というのがトレンドです。

日本の情況は視聴者にとって良い事かもしれませんが、民法テレビ各局は「公共放送」という事を忘れて、視聴者を獲得するための刺激的な放送ばかりに偏ってはないでしょうか?

「NHK以外は私的企業であり、そういった放送もやむを得ない」という意見もありますが、民間放送局であれど簡単には参入できない「免許事業体」であり、その放送自体の質はもう少し向上した方がよいように思えます。

それとも視聴者がもっと賢くなって、その報道自体を「これはバラエティとして受け止めるべき」など選別すべきことなんでしょうか?

それを視聴者に求めるのは、なかなか酷な事なのかもしれません。