ここにきてようやくNHK大河ドラマの「龍馬伝」を連続視聴しています。
それなりの幕末ファンでもある私にとって、龍馬伝で書かれるであろう物語はたいがい知っていることばかりであろう、という事で最近までしっかり見てきませんでした。
やはりクライマックスに向かって「薩長同盟」「池田屋事件」と続けば、知っている部分であるにもかかわらず、引き込まれるのが歴史ファンというものです。
ここから、「大政奉還」へとつづくクライマックスまでついつい見てしまいそうです。
さて、幕末の重要人物である坂本龍馬。
坂本龍馬の最大の業績は「薩長同盟」を誘導したことにあるのはご存じのとおりです。
しかし一介の土佐脱藩浪人である坂本龍馬に、討幕のきっかけを作った長州藩(山口県)、薩摩藩(西郷隆盛)の上層部が、そこまで影響を受けたのでしょうか?
龍馬ファンには申し訳ないですが、私個人的には、後年伝えられるほどの影響力はなかったのではないか?と思います。
たしかに坂本龍馬は「薩長同盟」の盟約に裏書さえしていますので、それなりの影響はあったと思いますが、なによりも薩摩、長州はいがみ合いながらも相思相愛であり、くっつくきっかけさえあれば・・・という状態だったのでしょう。
両藩とも幕末の雄藩であり、江戸から離れ体制もしっかり整えられる。
しかしながら今でこそ藩(県)レベルであれ、庶民感情はお互いが国のレベルに捉えていて、反発しあっている。
坂本龍馬や中岡慎太郎に促されるでもなく、上層部同士は「幕府を倒せるチャンスは組むしかないのではないか?」という結論は出ていたと思います。
そこで重要な接着剤となったのが長崎の外国人商人「グラバー」です。
この人が両藩を結び付ける経済的援助を思いつき、それを坂本龍馬に進言。
坂本龍馬はグラバーのいちメッセンジャーとして動いただけなのでは??
というのが私の個人的思想です。
幕府を倒す、クーデターというものは黒船来航で1つのきっかけ、そして二つ目がこのグラバーによる薩長の接着である、と考えています。
日本は国外のきっかけより改革をしていったのではないかと思っています。