アルジェリアの人質拘束事件に対し、政府は遺族と協議した上で「実名公表はしない」と決めたそうです。
しかし翌日の朝日新聞は「犠牲者の実名と写真を公表」
各メディアも追随したそうです。
追随したメディア関係者の意見の中には「それが何よりの弔いになる」「事件を公的なものとして歴史に刻むため」という言葉が聞かれたそうです。
また昨日はインターネットのニュースで、別のメディアから「政府はなぜ実名公表しないのか?」と題してコラムが載り、「被害者の友人・知人は一生懸命連絡をしているものの本人の携帯が繋がらない。凄く心配している」という被害者の友人と思われる男性の声を掲載しました。
個人的な意見としては、「遺族の意思を尊重した非公表」がもっともだと思います。
「それが何よりの弔いになる」「事件を公的なものとして歴史に刻むため」というのは明らかに報道側のエゴであり、遺族の意思と反した報道がどうして弔いになるのか? 事件を公的なものとする必要があるのか?とも思います。
またコラムについても、この被害者の友人と思われる人が本当に存在しているかも分かりません。
実名と言えば、かつて「女子高生コンクリート詰め事件」で加害者である未成年のグループに対し、「たかじんのそこまで言って委員会」でおなじみの勝谷誠彦氏が週刊文春内で「実名報道」に踏み切り話題になりました。
彼の持論は「獣には人権などない」というモノでした。
しかしこれはあくまで加害者。
今回のように被害者に対し、しかも被害者の遺族の意思を無視した報道はいかがなものか?
「弔いだ」と言っておきながら、本当に弔いたいなら「実名報道」が弔いでなく別の方法があるだろう?
本当にそう思います。
マスコミの自分よがりな報道姿勢とその根拠には若干、開いた口がふさがらない毎日です。